オリジナルブック 吾が人生
すべての文章を自由にお入れいただけます。 (タイトル、作者は表紙に連動)
 
表紙は ひまわり・雲・バラの 3色から選べます

  大弐 實
2005年10月28日 
 
 
お名前と生年月日が入ります
 
大弐 實 
明治40年7月6日生まれ
明治40年7月6日栃木県那須市水橋村に生まれる。
本名を實、父市ノ丞、母をヤヨと称す。
 
 
お写真が入ります
大正15年4月
茨城県立茨城広道学院(夜間中学)入学
昭和5年3月
茨城広道学院の第5学年卒業
大正15年3月
近くに住んでいた渡部さんの推薦で東京推進局水戸工事局通信職工を拝命水戸駐在となる
昭和5年
野球部発足

昭和8年10月
職工により雇員に昇格。常陸太田駐在主任となり、9月17日 水戸市柳小路902番地、木村宙五郎、四女華と結婚
 
 
コメントが入ります
昭和9年9月17日 長女広江誕生
昭和11年6月14日 長男道弘誕生

P5 ジャワ従軍記念、家族との記念写真。
昭和17年出発を前に、さまざまな思いを抱いて。
 
 
縦写真・横写真どちらでも使えます
昭和17年 スシバラ電話局・赴任記念
昭和20年8月 終戦。昭和21年9月 水戸工事局に復帰し線路課長として従事
昭和29年9月 日通建設株式会社に入社
写真は昭和32年 千葉工事現場 犬吠岬にて
線路工事長、技術長として千葉局自動改式をはじめ、高松南、徳島、沼津、市川、
東京井草分局開始等を次々と手掛け、岡崎工事を最後に本社線路部勤務となる。
 
 
横写真の場合は左右の余白がなくなります

高松工事竣工祝い 監督さんたちとの送別会で
昭和43年3月
同社の協力会社である東日通建株式会社に取締役線路部長として入社
昭和53年4月 定年退職
昭和53年4月 大戸社長に雇われて日新設備株式会社に入社。従業員の育成に努力する
 
 
カラー、モノクロどちらでも使えます
時間を見つけては、
好きなゴルフを仲間とともに過ごした日々・・・。


好きなゴルフを楽しみに悔いの無い余生を送りたいと思う。
ゴルフを通して、人生の喜びや楽しみは2倍になった。
 
 
コメントは1枚のお写真につき30文字ほど入ります
優勝カップに自信満々の小生・・・ 遅かりし青春を楽しんでいた。
国内も海外旅行も大好きで、誘われればどこへでも。
今は長女が住んでる北海道に、夏遊びに行くのが楽しみ。
 
 
写真は『写真ナンバーシール』を
写真裏に貼って指定してください
ライオンズクラブのメンバーとしてボランティア活動に勤しむ。
幼稚園へお雛様を贈呈、子供たちの喜ぶ笑顔が今も思い出される。

ありし日の妻、華と。「おかあさん、ありがとね・・・」
 
 
片面345文字、両面で690文字ほど入ります
父の出生地は茨城県那珂郡七里村大字千田7番地(現在緒川村)にて代々林業と農業を営み栄えていた。
私より八代前の小野衣文は安永、天明年間に庄屋をしていた。
父市ノ丞は祖父幸太郎の長子奈留も決するところあり、
郷里を出て栃木県足尾町に至り、足尾銅山古川鉱業に就職し、
やがて栃木県巡査を拝名して足尾町駐在勤務となる。
母の出生地は栃木県那須市川上村河井(現在茂木町)にて小林伝次郎の5女として生まれた。
曾祖父津衛門は慶応年間の庄屋であり、代々農業と葉煙草製造業で栄えていた。
大正5年11月18日 父に死別(足利郡梁田村)實、小学校3年生10歳なり。
大正5年12月 母と共に郷里千田に帰る。
大正5年12月 栃木県那須市茂木町、母に従い移転。
母は和裁の名取だったので針娘の師匠をする傍ら子供相手の小店を営み生計を立てた。
大正5年12月 伯父小森米次郎の育成を受けることになり、
大正12年3月 尋常高等小学校を卒業。その後、農業の手伝いをしていたが大正14年伯母とらと死別。

当時水戸に住んでいた母の元に帰り久し振りに親子3人で暮らすこととなる
大正15年3月 近くに住んでいた渡部さんの推薦で
東京推進局水戸工事局通信職工を拝命水戸駐在となる。(日給壱円拾銭)
昭和17年6月8日 次男護誕生、昭和22年8月12日 次女雅恵誕生。4人の子供たちに囲まれ、約60年間の永年に亘り電気通信事業に携わってきた。
平成11年妻が他界し、吾が人生はひとつの節目を迎えた。それから3年の月日がたち、今や子供、孫、ひ孫をあわせ、総勢22人となった。
激動の時代をひたすら貪欲にくぐり抜けてきた吾が人生。振り返ればその横に22人の笑い顔がある。
この幸せ、生きている喜びを感謝しつつ、余生をただ心静かに厳かに過ごしていきたいと願っている。     2002.1

授賞
電気通信産業功労賞
社団法人電気通信協会 電信電話工事協会賞