父の出生地は茨城県那珂郡七里村大字千田7番地(現在緒川村)にて代々林業と農業を営み栄えていた。
私より八代前の小野衣文は安永、天明年間に庄屋をしていた。
父市ノ丞は祖父幸太郎の長子奈留も決するところあり、
郷里を出て栃木県足尾町に至り、足尾銅山古川鉱業に就職し、
やがて栃木県巡査を拝名して足尾町駐在勤務となる。
母の出生地は栃木県那須市川上村河井(現在茂木町)にて小林伝次郎の5女として生まれた。
曾祖父津衛門は慶応年間の庄屋であり、代々農業と葉煙草製造業で栄えていた。
大正5年11月18日 父に死別(足利郡梁田村)實、小学校3年生10歳なり。
大正5年12月 母と共に郷里千田に帰る。
大正5年12月 栃木県那須市茂木町、母に従い移転。
母は和裁の名取だったので針娘の師匠をする傍ら子供相手の小店を営み生計を立てた。
大正5年12月 伯父小森米次郎の育成を受けることになり、
大正12年3月 尋常高等小学校を卒業。その後、農業の手伝いをしていたが大正14年伯母とらと死別。
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当時水戸に住んでいた母の元に帰り久し振りに親子3人で暮らすこととなる
大正15年3月 近くに住んでいた渡部さんの推薦で
東京推進局水戸工事局通信職工を拝命水戸駐在となる。(日給壱円拾銭)
昭和17年6月8日 次男護誕生、昭和22年8月12日 次女雅恵誕生。4人の子供たちに囲まれ、約60年間の永年に亘り電気通信事業に携わってきた。
平成11年妻が他界し、吾が人生はひとつの節目を迎えた。それから3年の月日がたち、今や子供、孫、ひ孫をあわせ、総勢22人となった。
激動の時代をひたすら貪欲にくぐり抜けてきた吾が人生。振り返ればその横に22人の笑い顔がある。
この幸せ、生きている喜びを感謝しつつ、余生をただ心静かに厳かに過ごしていきたいと願っている。 2002.1
授賞
電気通信産業功労賞
社団法人電気通信協会 電信電話工事協会賞
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